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◆ 第6回 主なテーマ 引き続き音の話

ヴァイオリンでもギターでもそうなのだけれど、最初にこれ位の 音で鳴るはずという具合に考えて作ったのと全然違う成果が出ていると思うね。このハウザー(36年)にしたって、これを作った頃はナイロン弦はなかった訳 だし、だからガットで調整していて、今出ている音というのは製作者が予期しなかった音が出ているのだと思う。ヴァイオリンなんかはもっとそうで、300年 位経っている訳だから。それに今演奏されている曲は殆ど作曲されていなかった。そしてヴァイオリンはネックを長くして張りを強くして、ハイポジションなん か製作時点では全然使ったことのないような所を使って、今弾いて、いいといわれているでしょう。で、今作られている楽器は、それらの事は承知の上で作られ ているのだけれど、それより古い楽器のほうがいいと云われているわけだから。だから短いサイクルでどんどん作って次へ次へとやっていくと、そういう新発見 は出てくる余地が無くなってくる。夢が無い気がするね。ギターだって、ここ10年で作曲された曲ってあるし、たたいたりひっかいたりは別としてね。
70年代くらいから実験的に作られたものは随分ありますね。
うん、ある。
解らないのでなく、今の新曲というのは、もっと解りやすいものが多いですね。楽器を使う人も、 ここ80年代後半からトーレス回帰というのか、若手の製作者も昔の作り方というのをやる人が出て来ていて、演奏家もそういうものを使い出していますね。そ れまではどんどんそういう新しいタイプの楽器に行っていたのが戻って来ていますね。その反面、僕の感想なのですが、演奏会を聴いていて、うまいとかそうい うのでは無くて、何というか、音でゾゾッとしたような事が少なくなって来たような気がします。
ああ・・・そういえば、ないねえ。
ええ、音楽は素晴らしいのだけど、音と密接に関係あるとは云っても、以前は何というか音でぞっとする様な事があったのですが・・・。
そう、このフレーズのここの音、みたいのがあったよね。
音が残っている・・・そういう事が今は少なくなったな。感じる事が。
技術や構築力はみんな見事なんだけどね。
声楽とか、他のものと共通するものは何なのでしょう?例えば、声楽以外では他の物(楽器)の助けを借りるわけですよね。
いま現役で走っている若手の演奏家などは、話をすると「昔の人は音、音って言うんですよね」って云うのですね。
そうか。でもギターから音をとったら何が残るんだろう・・・。
今の人たちの云う「音」という話は、新しい事を知らなくて昔の所で止まっている「大御所」が云う「音」という話が素直に聞けないという事ではないかと思うのですけれどね。
セコビア・トーンばかり云うとか。
一番のはね。
セコビアが何故その音が素晴らしいと云われたのかという、そのバックボーンや音楽を無視して、その音だけをとらえているという人たちに反発を覚えるのでしょうね。
セコビア・トーンって何だと思う?
僕は静かな時のハイポジションのとぉ〜んって云う・・・決してフォルテでない音だと、僕の中では、そういう音だと。
こういう音だと思わないかな。
   
  実際に弾いてみる、和音の中でアポヤンドでひとつだけ音を伸ばす、そしてビブラート。
   
おぉ〜・・・
だけどあれは時々やるので、セコビアの普段の音というのは割にこうだよ。
   
  弾いてみる、アルアイレで細く硬めの明確な音(以上、そのように弾いたつもり)。
   
アルペジオとか、結構ね・・・
細くて。
その中でこうやるから(弾く)、多分セコビアトーンと云ってい るのはこちらの方だと思うのだけれど。普通はこれで、で、あの細いくっきりした音はやっぱりハウザーの音だよ。あんまり楽器変えてもセコビアの音がみんな するから、わからない方なんだけど。丹念に聴いていると、やはりハウザーの時がいい音している。まあマヌエル・ラミレスの音というのもあるのだろうけど。 録音が古すぎてよく解らない。ハウザーに持ち替えてからは多少いい録音もあるし、そうすると今のようにカチっとした音が本当にかちんとしている。「プラテ ロと私」はラミレスだと思うよ。やや茫洋としている。
確かにね。
     
  しばし、ブレイク
   
世界的な演奏家レベルでなくても、ふっと行ったコンクールでも、はっとする様な音を聴いた記憶が何年位前から無くなったかな・・・と今考えているのですけど。立場上、コンクールは長く聴き続けていますが、そういう事を感じなくなって久しいのですね。
感受性の限界ではないと・・・(笑い)、演奏スタイルというのが、長くとらえて、100年前の演奏スタイルって、すごく濃厚だよね、あの頃の人の弾き方って。
ロマン派の頃・・・
ロマン派から20世紀に入って、作曲家兼ピアニストとかヴァイオリニスト・・・
ああ、クライスラーとか・・・
まあ、作曲家兼から演奏家専業になっていくのだけど、そこで自分流に崩していくんだね。で、聴いた途端に、ああ、これはクライスラーだと解るようなものがあった。セコビアだってあったでしょう?今はどうなんだろう。
そういうスタイルはどの楽器のプレイヤーでも無くなってきましたね。少ない・・・
均一化されてきた・・・
それと、一つの曲をセコビアだったら、バッハのリュート組曲の サラバンドだけ弾くとかね。いま、そういうことをやったらあまり相手にされないでしょ。うかうかすると4組曲連続でやらなければ、意欲的と受け止めてもら えないとか。それほどでなくても組曲と云えば、全曲取り上げなければまずだめでしょう?ピアノなんかでもそうでしょう?昔の人は、たとえばホロビッツなど はショパンのエチュードをひくのに自分の好きな数曲だけ選んで録音している。でも今の人がレコード出すとしたら、練習曲全曲、マズルカ全曲、ノクターン全 曲って云う感じで出すでしょう。そうすると、全曲やると自分の感性に合わない曲だって必ず出てくるんだよね。そこで全部やるためには、自分の感性通りに弾 く曲ばかり集める訳にはいかないから・・・以前Fさん(著名ギタリスト)がビラ・ロボスだけのCD出したじゃない、あの後、「現代ギター」でH(別の著名 ギタリスト)さんと対談していて、あのショーロスを集めた組曲・・・(度忘れ)
ああ、ブラジル民謡組曲。
そう、あれの中の一曲を、あれは駄作だから、と云っているわけ。駄作なら弾かなければいいとわれらは思うんだけど、シリーズだから弾かなければいけない。昔、ジュリアン・ブリームは、ショティッシュ・ショーロだけ弾くとかね、そういう事やっていた。
でも、ブリームは、全曲収めた先駆者ですよね。
そうだね、リュート組曲もやったし。
バッハだけで1枚とか。
セコビアのバッハのサラバンドだけ弾くというの、結構批判的にコメントしている所がブリームのDVDの中にありましたね。
ビラ・ロボスの前奏曲全集というのを出しているね。
エチュードはやってない。
前奏曲は順番変えてやっている。確か・・・
ブリームはいろいろいじっていますよね。
セコビアがそこだけやるというのは、時代背景もあって、当時SPでしょ。
全部入れている余裕が無いと・・・
3分、4分程度の曲というのがすごく大事にされた。当時ヴァイ オリンでも何でもそう。だからその習慣がまだ有るのではないかな。まあ、昔の人の、例えばクライスラーのヴァイオリン協奏曲っていうのも、あるにはあるけ ど、そういうのを聴ける人は珍しい訳で。(SPレコードも蓄音機も高価なものでした)
クライスラー以前の音楽というのは、どうなのですか?
演奏家?
そう、演奏家。もちろんレコーディングというレベルではないですけど。
例えば、サラサーテのレコードとかあるんだよね。
今、録音として残っていないかつての・・・
パガニーニとか?
いろいろあるけど、パガニーニのレコードがなくて良かったという人もいるんだよね。今から聴くとそれほどでもないのではという説も・・・伝説として残っていてちょうどいいという。
すごい伝説ですよね。
でも僕はやっぱり凄かったのだと思うよ。でもそれは今、僕たち がロビー・ラカトシュとかパコ・デ・ルシアを聴いて凄いと思うのと似た所があったと思う。パガニーニは、例えば同じ時代なのにベートーベンの協奏曲とか、 ソナタとか、そういうものは弾いたこともないんで、自分の協奏曲は弾いていたけれど。民謡の様な唄に変奏をつけてとか、やっている訳。そうするとジャズの アドリヴにやや似ている感じがする。自分の一番得意な弾き方をしていいんだね。規定演技ではなく自由演技なの。テンポも動かしただろうし。でもその範囲で は凄いことをやったと思う。今の人はありとあらゆる曲を弾いて練習して出てくるのだから、それは上だと思うけど。
そういう意味では均一化されているのだと思いますね。どんなものもこなせるとなると、それに共通したものだけを自分の物として弾いていく訳ですからね。
だんだん没個性になってくる。
それに対応した楽器が作られる。
先ほど、ギターから音を除いたら何になる、と云ったけれど、色々な事ができる楽器と云ったら、ギターでなくて最初からピアノやったら、という話になる。そこをギターでやっていると云うことは、やはりギターの音でしかないんじゃないの?
ギターがギターであるための・・・
それを放棄してしまって音、音と云われるのはいやだと云うのはね・・・
よくバルエコとか、均一のと云われますが、全部均一ならピアノ弾けばと・・・でもバルエコが出てきたからそういう話も出てきたのですね。
バルエコ自身が当時の演奏に不満を持ったのでしょうね。ちょっとないがしろにしすぎではないかと
僕はバルエコは大げさに云えば、第二の黒船みたいに思いましたけどね。それまでの価値と全然違うスタイルで出てきたギタリストとして。だれもいなかったですね、ああいう人は。
ある意味歯止めをかけたと僕としては感じています。
バルエコ以降で育った人達というのは確実に沢山いるわけで、セコビア世代、バルエコ世代・・・
両方同時ですからね。
僕はやはりギターは、ある程度ギターらしく弾く人が好きだね。
そのある程度というのが大事だと思います。
ヴァイオリンなんかもそうだけど、ヴァイオリンからあのポルタメントを無くしてしまったら、ヴァイオリンじゃないんだよね。だからパールマンなんかは好きだね。ヴァイオリニストっていう感じするでしょう。
まさにそうですね。ここ10年位記憶に残っていると云ったら、アルゲリッチのピアノの第一音が頭に残って・・・池袋芸術劇場での。ギドン・クレーメルとの、半年前から買ってあって、11月の4日で、ちょうど大変な事があった直後だったし、どうしようか途方にくれたのですが・・・
そういう時だからこそいかなきゃ。
そういう状況があったかも知れないからかも知れませんが、あのピアノの第一音は忘れられないですね。
でもそれがなければギターを諦めていたかもしれないよ。
そう、やっぱり音楽はいいね・・・としみじみ。
アルゲリッチの音って強いんだよね、ポリーニとか現代一流の中で一番強靭なのはアルゲリッチ。
そう、でもそれでいて第一音が、ゴルゴンゾーラに蜂蜜をかけたような・・・極上のソーテルヌのワインの様な・・・こんなのあり?みたいな・・・そんな中からクレーメルの糸を引くような細い音が・・・
なるほど、そんなの聴いたんだ。まさにゴールデンコンビ。
でも最悪の状況の時にも、聴きにいくのだから、相当の音楽馬鹿だと云われましたけどね。・・・まあ、今云った様なレベルの経験は別としても、(音が印象に残るコンサートは)結構ありましたけどね。それこそ発表会レベルでもあった。
瞬間をとらえれば、あった。
そういうものが欲しいですね。ちょっといい音でいいのだけれど。
ギターってあるんだよ、ピアノでは、なかなかそうは行かない。
ピアノではもっと大げさになってしまうのだけど、ギターには「ちょっといい音」ってありますね。
ギターの良さですね。
全然上手くないのだけれど、ここの所だけいいな・・・とか。
そう、ちょっとした小さな、いい世界が・・・
手作りの音だからね。

 

・・・つづく・・・
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