◆ 第16回 | 主なテーマ | 「音」をテーマに、結構過激 |
さ | 80年代のレコードですか? |
ま | レコードからCDにかけて。デジタル録音になってからじゃないか。 |
さ |
だからECMの・・・ハービー・ハンコックとか、すごくきれいな録音 ありましたよね、あの辺りは、僕は最後のアナログの素晴らしい ものだと思います。ハービー・ハンコックとかヴァイブの ゲーリー・バートンとかあの辺がみんな属していたんですよね。 |
か |
「処女航海」の頃? |
さ | いや、それはもっと前でしょ。 |
か | もっと後、全盛になって? |
さ |
ハービー・ハンコックや、ほら、モーツァルトも弾いちゃう・・・ キース・ジャレットとか、あの辺のが出てきた頃の独自レーベルですよね。 ジョージ・ウィンストンがやったのは何でしたっけ? ウィリアム・アッカーマンがプロデューサーで。 |
な | ああ、ウィンダム・ヒルですか? |
さ |
ウィンダム・ヒル、あれもデジタルになったけど最後にアナログにこだわった、 あの辺の録音が僕は多分レコード芸術の最後の美しさだと思いますね。 槇さんがこれだよ、って云った最後の完成形だと思いますね。 |
ま |
50年代に録音技術のピークっていうのはルディ・ヴァン・ゲルダーっていう・・・ |
さ | 僕、それ知らない。 |
ま |
ジャズの、 |
さ | プレイヤーですか? |
ま | いや、録音技術者。 |
さ | エンジニアですね。 |
ま |
この人が作った、だからマイルス・ディヴィスとかその当時の レコードはみんなこの人だよ。 ブルーノートとか、プレスティジとか。 |
さ |
じゃサラ・ヴォーンとか、あの辺の・・・あ、あれはマーキュリーか、 ちがうか、 |
ま |
いろいろな会社で出しているから、そうかもしれない。 |
さ |
とにかく、槇さんもそうだし、僕たちもそうなんですが、 昔そうだったですが、このレーベルはこういう音作りってありましたよね。 会社の音造り。このレコード会社はこういう音のコンセプトで行くという、 プレイヤーはいろいろあってもね。聴いただけで、 あ、これって例えばフィリップスだなっていうのがあったですね。 これはウェストミンスターって。 フィリップスとあの頃はクラシックでは・・・ |
ま |
グラモフォン。 |
さ |
そう、グラモフォンの作りとか、聴いただけでプレイヤーじゃなくて、 その会社の音造りってありましたよね。 |
か | 私の世界で云うと、モータウン。 |
ま さ |
ありました、ありました。モータウン・サウンズ。 |
さ |
だから聴いただけでわかるという、クラシックって昔からビクターがあって、 いろいろあったじゃないですか、でも僕たちの世代って、一番それが、 槇さんの云われるように、多分アナログの最高に華開いた頃に聴いている訳で、 だからこそ、その会社会社の個性が音にあったのでしょうね。 |
ま |
それで残念なのは、80年代になって、CDが商品として出るとか出ないとかいう噂が あり、現実化していったときに、レコードの方が一緒に競争したのではなくて、 ハナから競争を諦めてしまった。それとソニーがごく初期に49900円のプレーヤー を出したから一気に普及した。 |
さ | 急激にCDに変わってしまったでしょう? 僕はあんなに変わると思わなかった。 |
ま |
あっという間に変わったねえ。 |
さ |
CDに変わる時はね、僕はCDプレイヤーも持っているけど、まあCDはいいや、 便利だしって思うだけで、でもやはりレコード聴いていた。 あんなに急激に全部変わるとは思わなかったですね。 |
ま |
80年代になってからね、大半のレコードがひどい作りなのね。ペラペラで。 盤質も何か不純物でも入っているようにね、新品からパチパチ、ノイズがするの。 |
さ | スクラッチ・ノイズってやつですね。 |
ま |
そう、多くてね。あれでCD出てきたらひとたまりもなくて。 |
さ | 「な」君はレコード体験ある? |
な | レコード聴いたっていえば、「あらいぐまラスカル」・・・ |
さ | ソノシート? |
な | そうそう、でもショパンはありましたね。僕中学校の頃、聴いていましたもの。 |
さ | 学校だったらまだまだね。 |
な | いえ、家で。なぜかは知らないですけど。ショパンはありました。 |
さ | あの頃って、妙に音に対して・・・ |
ま |
一種の信仰があったよ。 |
さ |
こういう音がいいとか、だから楽器もそうなんですよ。コンクールでもそうだつた。楽器の音がどうだった、この楽器は何だ、あの人は何を使っているか、とか。 こういう人が弾いた時、音はどうだとかね。いま、あんまり音の事云わないよね、 フレージングがどうのとか、 |
な | 富山時代はフレージングよりも音・・・ |
さ |
彼は若いのだけれど、育った師匠が、富山の超アナログというかアナーキーと云うか、 アナクロな人なの。すごくいい人なんですけど。槇さん世代です。 |
な | いいハウザー二世をお持ちですよ。 |
さ | 54年、S先生。僕が初めて音に衝撃を受けた人です。 |
ま | ハウザー二世といえば、70年代に弦長が長いのが標準になったことがあったでしょう。 |
さ | ありました、ありました。660が普通。 |
ま |
うん、それが650で通している楽器がいくつかあって、そのほうが張りも強ければ、 音も力強い。それがハウザー二世、フレタ、ルビオ。 |
さ | そのフレタは60年代、エ・イーホスの? |
ま | そう、その時代のフレタに悪いのはない。 |
さ | 槇さんの云う、細くないのですね。ふっくらしている。 |
ま | ああ、60年代後半のね。 |
さ | Y先生。槇さんがいいフレタと云った、あのフレタは稲垣さんが欲しいと云ったんです。 |
ま |
稲垣さんはアグアドに興味があるといってなかった? |
さ |
最近ね。アグアド欲しいらしいのですけど、稲垣さんの好きなポイントはちょっと違うので。 酔っぱらって稲垣さんに云っちゃったのですが、稲垣さんって普通の人がいやなバランスが好きですよね、って。自分のことってけ結構見落としあったりしてわかっていない。 だから面白い、稲垣さんの話は最高に面白かった。稲垣さんは1弦が硬くて、普通の人が弾けないような楽器を好むのですよ。あたかもすごく1弦ふっくらふくらむ様にきこえるけど、
稲垣さんが弾くからああなるので、ほかの人が弾いたら全然違いますよね、と |
ま |
じゃあれだな、僕のきらいなようなブーシェが好きなんだな。 |
さ |
そうです。 |
ま | こういう所(話)でわかる人は分かるんだよ。 |
な | すごいですねぇ~。 |
さ | 音のね、 |
ま |
ここがね、知らない人が会話していると、こういう具合には来ない。 |
な | つながらないです。 |
さ | これは、阿吽ですね。 |
な | 言葉を超えたイメージの交流があるのですね。 |
さ |
具体例をあげて云えば、すぐに分かるんだけどね。抽象的な話じゃない、こういう楽器があってとか。リアリティの話。 |
な | 遠巻きにしていると抽象的な話をしているようだけど、実はものすごく・・・ |
さ |
そう、とてもリアルな話。 |
ま | で、そういうアグアドはあるの? |
さ | ですからね、例えばそういうアグアドはO先生が持っている、ものわかりが悪い、ちょっと気むずかしいアグアドがあるんですよ。槇さんのアグアドとちょっと違う。 |
ま |
そういえば今井さんが云っていた。O先生のアグアドは難しい、って。 |
さ |
奇しくも槇さんが云ったじゃないですか、僕の持ってるアグアドはキャバレーの・・・ |
ま
|
そんな下品な言い方はしないよ~!(本気で怒る) 目がぱっちりしたって云ったんだよ。 おめめぱっちり。キャバレーだの、艶っぽいだのと、何をいうんだか。 |
さ | よく昔から云ったのですが、白い表面板の楽器って白い音がするって。 |
ま |
うん。 |
さ |
やっぱりちょっと色がついた楽器って、色が。例えば同じ製作者で、アグアドありますよね、 色の濃いアグアドとちょっと薄いアグアドと、その時にちょっと色黒のアグアドってコンクな濃い音がするんですね、 |
ま | アグアドに限って云うとね、アグアドの色の薄いって云うのは、僕が思うにエルナンデスが最後まで仕上げたんじゃないかと。それから60年代後半からでしょ。薄いのって。 |
さ | 実は67年位から。 |
ま |
67年位から・・・多分その頃から構造が変わっているんだよね。それでベルサールに引き継がれている、これ位の(ベレサールを指して)色でしょう?ベルサールの音にも似ているの |
さ | で、アグアドの色の濃い、もっと色が濃いですね。 |
ま |
フレタも同じ様な色だよ。僕のアグアドとフレタはよく似ている。もうちょっと飴色。 |
さ | 槇さんのアグアドって、最高の中の一本なんですが、新潟の・・・ |
ま | あれは白っぽいそうだね。 |
さ |
同じ年代なのに白っぽいんです。後になって白っぽいのなら分かるのですけれど、多分同じ64年。だけど色は白い。で、奇しくも同じ年に作っているのに音の色合いが違うのです。 |
ま |
音も違うの? |
さ | 違う。槇さんのよりはるかに軽い、音が。軽いというか、白醤油と濃口醤油、いい意味の薄味。同じ年で、同じ製作者であるんですよね、だから新潟のもぜひ見てほしい。この2本は典型ですごくいいアグアド。 |
ま |
これはね、アグアドでベルサールの出番が無くなってしまったけど、以前ベルサールの系統をもっとよくした感じのアグアドはないのかな、と云ったときに新潟だろうねって聞いて。 それ見てないから大いに気になる。 |
さ |
アグアドもそうですが、星野さんでもあったんですよ。同時期にセラックで、濃いのと、 真っ白で同時に作ってきて、同じ構造なのに塗りが違って色が違うと明らかに音の色も違うのです。あれは何度か経験してる。 |
ま | 僕もそんな表現をしたことがあるのだけど、これはこの色合いぐらいに違いますと、それは別の楽器に対してだけどね。 |
さ |
僕が思ったのは、70年代に、エドガー・メンヒっていうのが、あれってすごく異質な音だった じゃないですか? ああいうものって無かったですよね。ほとんどお酒で云えば、 甘口のお酒が多かったですね。今ギターの世界で甘口の楽器って無いです。 あの頃のああいう甘口のお酒の様な音の物って今は無い、当時のラミレスのような、 とろける様な。と云うのはね、今ああいう音の出る楽器って逆に無いのです。 人工甘味料を加えた様な物が無くなったのか、僕はラミレスのは自然の甘さだと思うのですけどね。 |
ま |
あの頃、ラミレスの音は甘い音と言ったけど、僕は甘さをもうちょっと煮詰めて、甘ったるくなくした様な、なんと言うか・・・ |
さ |
自然の甘さ、ヴァン・ド・ナチュラルですか? ワインで云えば。要するに甘味料を加えてない。 |
ま |
するとラミレスじゃなくてね、急に飛んでしまうのだけど、ルビオのいいやつとか。 そういうのが好きだった。 |
さ | それは、ソーテルヌの甘口みたいな高級なもんじゃないですか、究極の甘口の。 |
ま | あれもそうだよ、ワイスガーバー |
さ | はぁ~!それはドイツだから、ベーゼン・アウスレーゼじゃないですか。ワインで云うところの、トロッケン・ベーゼン・アウスレーゼですね。 |
ま |
それに比べると、ラミレスの甘さって味醂みたいじゃない。 |
さ |
ちよっと安めのポートワインか・・・ |
ま | ルビオっていうのは、そんなにハードなだけの楽器じゃないと思う。 |
さ | それはすごい。それはね槇さん、ルビオの60年代から70年代の時までのルビオです。 |
ま | そう、ほんとのルビオ。 |
さ |
晩年の最近のルビオはちがいましたからね。あの頃のルビオは、イギリスでしたから、 槇さんの持ってきた下さったシェリー、シェリーのフィノじゃなくてアモンティアードとか ドルチェみたいなやつ、ドルチェじゃないか、あの一番甘い甘口のシェリー。 ルビオっていうのは正にシェリーのアモンティアードみたいな感じだと思います。 ほんとに自然の、でもちょっとぴりっと芯があるのですね。 ルビオっていうのは芯が強くて甘さがあるでしょう? |
ま | うん、ある。そういうので、僕はあの頃ね、ルビオだとかワイスガーバーとかいい楽器たな、と思っていた。 |
さ |
今日の話の終わりで、ギターの色で、思ったのは、メンヒが最初出てきた時に、青山タワーホールで、Mさんがメンヒを使っていた頃、Hさん達一族がいて、みんなスペインの楽器だとかで、 そこに一人Mさんが出てきた時の音の白さ、ほとんどラテン系の民族ばかり見ていた所に白い人が出てきたみたいな、すごく新鮮なものがありました。 |
ま | 今、そう考えると、ああいう色のついた楽器はないんだね。 |
さ | そう、逆に今、音の色が、みんな変わっちゃっている、アルンカヘルだって昔は本当に土着民みたいな音していたんです、今のアルンカヘルって去勢された・・・ |
ま | 宦官・・・ |
ここでデザートになる | |
さ | 2000年を過ぎてからのアルンカヘルは、最高だとか云ってますが、実は60年代の方がはるかに存在価値がありましたね。今のアルンカヘルは無国籍、60年代のアルンカヘルのコンクさを知っていると・・・薄めたジュースみたいです。 |
ま | これもないものねだりに近いのだけれど、ケヴィンにちょっとだけ色がついて欲しいんだよね、 |
さ |
逆にね。でも逆に思えば槇さんの時代のケヴィンの方が色があったのではないですか? 今よりも色が。 |
ま | うーん、でもうちの中では、あれは淡白な方だよ。 |
さ |
白身魚の、こってりではない。 (デザートの濃厚なケーキと、紅茶は濃いめがいいという話から) やっぱり音も味もバランスだよね。 |
な | バランスはすべてに絶対に大切ですね。 |
ここでHPから検索したある記事の話題になる。高名な女性評論家のお説で、内容は、 某楽器店でどこから見てもふつうのオヤジが、マーチンのD45を食い入るように眺めて いたのを揶揄している。マーチンD45がどのくらいのものかはマーチンのHP参照。 ミュージシャンの妻でもそういう楽器を買うといわれてにこやかに「どうぞ」とは いわないという。そして高いギターを買うよりも、練習してうまくなったほうが格好いいぞ と結んでいる。これについては、一同怒りかつあきれる。 その様子、 |
|
「なにこれ? 失礼しちゃうわね」 「これもひとつの見識というものかねえ・・・」 「見識なんて要らないんじゃない? もともと実用品じゃないんだから」 「ミュージシャンにとっては、実用品というか商売道具だから、性能本位で選ぶもんだよ。 それを妻がどうこう言うものじゃない」 「この人、見ただけで『ただのオヤジ』ってわかるのかねえ」 「わかるんでしょう、書いてるくらいだから」 「しかし、こういう賢しらなことをいわれると腹が立ってくるね」 「こういう人は現金100万円と、株券100万円分と、楽器100万円の区別がつかないんだろうね」 「違いのわからない人・・・」 |
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マーチンHP | |
ま |
ここに来る人でもいるんじゃない? 5万のギターと300万のギターとどう違うのですかって聞く人。 |
さ |
大体ね、5万のギターと300万のギターと本当にそんなに違うのですか? みたいな、そういう質問すること自体が、そういう風に思っちゃうこと自体が、 もうこの場に来てほしくないと。説明なんかできないのだもの、 そういう感性の人に。説明したってわからないでしょう? |
な | 感じてもらうしかないですから。 |
さ |
感じられないでしょう、そういう人には。 そういう風に感じちゃう人は別世界なんだよね。 |
ま |
子供の時、分からない事があってね、デパートに行くとクリスタルガラスの食器 なんかが並んでいて、当時一個何千円って、家で使っているコップって云うのは 10個で百円とかね、どうしてこんなに高いのだろう、ガラスじゃなくて水晶か ダイヤモンドでできているのかと、落としても割れないの? とか、いや割れるよって、分かんないの、子供には。今はよく分かるけどね(笑い) |
な | 僕はまだ分からなかった頃にまだ近いですからね。 |
さ |
素朴な質問で、こんな質問をする人にはやってほしくないな、という人と いっぱい答えてあげたい人と二種類あるんです。 |
ま | わかるわかる。 |
さ |
何もわからなくてもかゆいところに手が届く以上に、いっぱい答えてあげたい人と、 一行も書きたくない(メールなど)人といるんですね。同じ質問をされても、 肉声で聞いた時に伝わることがメールではわからないことがある。 |
ま | 顔色、目の色、視線の向き、そんなところだね。 |
さ |
やっぱり聞きたかったら、肉声で聞いて欲しいよね。聞いた時の判断で、 本当にいっぱい答えさせてもらいたい、答えてあげるのではなくて、 答えさせて下さいという人と、答えても無駄だな、っていう事が。 すごくそういう感性ってあるじゃない。嗜好品のものだから。 |
ま |
そうなんだよね、これみんな嗜好品なんだよね。実用品じゃないんだからね。 おにぎりじゃなくて、ケーキだからね。 |
さ | そういうものじゃないですからね。こういう物って。 |
な |
でもここに来て、そういう事に気づいたっていう人も。 なんだよ、って思っていたけど、ああ、そうだったんだと。 |
さ |
ここに来てくれた時に、その人は分からなくてもいいわけ、この空間に来てくれて、 その話の中で気づいてくれればうれしいし、それが僕たちの使命なんだな、 そういう人が変わるも、変わらないも僕たちの力だから。 変えられないのは僕らが至らない、 |
な |
人っていうのは、必ずそういう感性があると思うのです。 無い人なんていないと思うし。 |
さ |
僕もハナから、そういう人は、ノーと云っている訳ではないよ、会話の中で すべてやっていくのに分からない人っているじゃない、変わってくれるのが 一番うれしいの。こういう事やっていて。わざわざこんなに来にくい所に 来てくれてね、まずそれだけで有り難いのね、いらして、えっこんなとこ?って 感じるのは当たり前、ここで話をして、ああ、と思ってくれる人が一人でも増えてくれれば僕はうれしい。 |
ま | 今、みんなどういう所から情報を得ているの? |
さ | 今は本当に多いのは、インターネット。 |
な | やっぱり、知れるなら知っておこうと。 |
さ | 現代ギター誌は広告だしているけど、ここからくるのは 0.01 パーセントくらいしかない。 |
ま | 僕なんかは、昔、現代ギターを立ち読みして荒井貿易の広告など、写真が載っているじゃない、そして現物を見て、ああこれだ、と思ったりしたね。40年位前か。 |
な | それは、ある程度楽器をもう知っている時代でしょ? |
ま |
自分はギター弾いていたし、で、とても買えないだろうけど、何十万という楽器がある事を 雑誌で読んで知ってて、 |
さ | その当時の現代ギター誌は、今のインターネットだと思うのですね。 |
ま | そうなんだろうね。現代ギターのあの頃の役割って大きいよ。 |
さ | 今と全然違います。媒体なんて何もない訳だし |
な |
僕がギターをやり始めた頃は辛うじてインターネットがまだ普及してない頃だったんですよ、 ただその時は見ましたね。でもわからなかったですね、なぜこんな桁がついているのだと。 想像もつかなかった。 |
さ |
当時の1970年の1月号の所にね、河野が5万と、で、今見ると懐かしいのだけれど、 鉛筆で5000円で10回か、って書いてあるの。 |
ま | 河野で5万は、70年には、もうなかったと思うよ。6万か7万からだよ |
さ | 70年の1月号ですよ。 |
ま |
ああ、69年という事? |
さ |
だから5万って云うのが載っていたのですよ。僕はそれで行ったら、もう無いの。
お年玉で4万あって、でもその時に5万なかったから、今の僕があるんですね。 友達が10万の河野買ったんですもの。 泣きそうだった、先生もやあ、いい楽器を買った、これでいろいろな音が出るよって。 |
ま | いろいろな音なんて、出ないじゃん。(爆笑) |
さ | 先生だっで、いろいろな音が出ないラミレス使ってたもの。 |
ま |
本人(その友達のこと)も云ってたよ、この楽器はフォルテとピアノだけ出て、 中間が出ないって。 |
さ | 東京に出てきた時、まだ河野買おうと思っていた、そしてS楽器でY(楽器名)買った。 |
ま | で、誰かさんに僕の二番目にきらいな楽器買ったって言われたわけか。 |
さ | そうそう。そのころ「某ミュージック」に行って槇さんに会って、べレサールを見せてもらって・・・あれは槇さんのベルサールじゃなかったのかな。違いますね、その次のですね。 |
ま | 違うんだと思う、・・・番だね。 |
さ | 僕のベディキアンと同じだ。 |
さ |
あの時見せてもらって、僕はマイネルの方がいいと思ったんですよ。 ベレサールとマイネル見せてもらったんです。 |
ま | マイネルもあの甘さを凝縮したような。 |
な | それ、見た事ないです。 |
ま | それこそ、ワイズガーバー工房にいたんじゃなかったっけ。 |
さ | ドイツの兄弟が使っていたやつ(これは勘違い、以下に記述)。 |
な | ああ、あの真っ白い音の出ない。 |
ま | 出ない? 変だな、マイネルは出たよ。 |
さ | 今や、出ないんです。 |
な |
(東京国際で)ドイツの兄妹が弾いて、妹さんがすごくきれいな音を出すのですけど、
すごくいいんですよ。 |
さ |
箱庭みたいです。箱庭トーンです。今みたいにわーと広がる音じゃなくて、シューっと、 箱庭でルーペで見て、あっここきれいだね、ここにこんな細工があるね、っていう。今や。 |
ま | ふうん、そうか。 |
さ | 東ドイツでディートリッヒとマイネルってあったでしょう。 |
ま | ディートリッヒは鳴らないよ。 |
さ | ディートリッヒは鳴らなかったですね、マイネルの方が鳴ったでしょう?・・・くんがマイネル買ったんですよ |
な | ディートリッヒじゃないですか、あの二人。マイネルじゃなかったです。 |
さ | あっ、そうだ。ディートリッヒだ。 |
ま | ディートリッヒだったら鳴らないのわかる。フランク・ペーター・ディートリッヒ。だとすると鳴らないきれいな小さい箱庭という表現はよくわかる。 |
さ | ディートリッヒからもらった手紙、彼女達と話をして名刺を渡したら。(読み上げながら)百年以上昔から・・・これシュレンメルですよね、ウィンナモデル。 |
な | こんなハウザーありましたよね。 |
ま | ハウザーあるよ。 |
さ | ハウザー、こんなウィンナモデル。 |
ま | 今でも作っているんだね、 |
さ |
びっくりしますよね、で、やっぱり鳴らない楽器なんですよ。 (兄妹は)すごくいいプレイヤーなんですけどね。 |
ま | これは、そういう意味で家庭で弾くにはすごくいい楽器だよ。 |
さ | 逆に手元で聴くとすごく美しい楽器です。 |
ま | そうだろうと思うよ。そして手許で近くで見てきれいな楽器だよ。仕上げもいい。ただニスが弱そうだね。 |
さ | 弱いです。そして、艶消しなんです。 |
ま | 表面艶消し、裏ピカピカ。 |
さ |
艶消しって松井さんに云わせると、簡単なんです。工程を三つ位省いていいんです、 セラックでも塗りっぱなしというのはあれでいけるのですって。 後で艶を出すのが大変。これは違うよ、ケヴィンのは。これはオイルフィニッシュ。 |
な | ただの艶消しではない。 |
さ |
やはりケヴィンだから多分凝っていると思うな。軽々しくは云えないような。 きっとものすごい手間がかかってる。 |
な | これがマルクノイキルヘンという弦楽器の町・・・ |
ま | そう。その中でもヴァイオリン作っている人の方が階級が上の様に思われていたらしいけど、今はそんな事はないのかなあ。それで初代マーチンはそこを逃げ出して、ウィーンに行って箔をつけて戻ってきたんだけど、やっぱり差別意識があって、それでアメリカに渡った。 |
さ | だってマーチンの最初ってあれと同じだもの、シュタウファー・モデル。 |
ま | シュタウファーに習ったんだもの。 |
さ | そしてマーチンは何代目かで全然違うモデルを作って大成功した。 |
ま | ご先祖が聞いたら喜ぶのだろうかね。 |
さ | どうなのでしょう。今でもシュタウファー・モデルは作っているんですね。 |
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