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● 鈴木大介ギターエッセイ パート16

10月にはリサイタルを控え、タイトなスケジュールが組まれている大介さんです。今回のニューヨークテロについてエッセイが寄せられました。


こんにちは。ニューヨークのテロ事件、みなさんのお友達やお知り合いはご無事でしたか?? 僕はあわててエリオット(・フィスク、ザルツブルグにいた時の先生、現在はボストンに住んでいる)にメールして無事を確認してしまいました。演奏家は移動が多い職業なので、今回のような事件は決して他人ごとではありません。被害に遭われた方たちに謹んで哀悼の意を表します。

日本で阪神大震災が起こったときも、地下鉄サリン事件が起こったときも僕は留学中でした。ある朝、ホアキンの家でテレビを見ていたら、瓦礫に埋もれた街が映って、僕はどこかの国でまた戦争が始まったのかなと思ってみていたら、看板に書いてある文字が日本語だったのでパニックになってしまった記憶があります。阪神大震災の様子は、ほんとうに爆撃を受けた街のようでした。地下鉄サリン事件の時は、近所の人たちから日本ですごいことが起きてるぞ、と教えてもらいました。彼らの言い方では、「宗教団のボスがテロを起こした」という感じでした。日本では「事件」と行っているけれど、確かに事件なんだけれどそういってしまうと急に犯罪性が薄れてしまうと思いませんか?

その頃、エリオットのクラスにいたゴーランというボスニアの少年や、ホアキンの義理の弟だったハビエル達は、彼らの友達や親族が戦争や飢餓で日々命の危険にさらされていることを、淡々と話してくれました。僕にはとても実感を伴う話ではなかったけれども、そういう仲間達が身近にいるときに日本の災害の報せにふれ、安全に生きることのはかなさを考えずにはいられませんでした。

平和であるということは普通のことではありません。侵略経験の少ない日本では、何も悪いことをしていないのに外部からの攻撃で平和な生活を失うという感覚がいまひとつ理解できません。でも、普通、国家や民族の歴史はそういうことの繰り返しです。そうした中で、それぞれの民族が独自のモラルや宗教を形成してきたわけです。話し合いですべてが解決できるとは思いませんが、罪のない人々が命を落としたり、悲しんだりせずにすむ方法は存在しないのでしょうか。